継田のコメのふるさと鳴子
開湯約1300年といわれる鳴子温泉郷は、歴史ある湯治場です。
「お湯で治す」と書く「湯治」とは、そんな温泉を真ん中に、お風呂に入って、旬のものをいただき、話したり、笑ったり、歌ったり…。家族や仲間とひととき滞在しながら心と体を休めた慣習。その期間は短くても2週間、長いと2か月にも及んだとか。コンバインなどの機械が無い時代、畔の整備に始まり、種蒔き、田植え、草取り…そして稲刈り、脱穀まですべて手作業の近在の農家さん達が作業の合間に湯治、元気になってまた戻る…を繰り返しました。
昭和の時代には宮城県内、気仙沼や石巻から直通の列車も運行されており、漁がひと段落した沿岸の方たちも多く滞在、鳴子は1年を通して海と山の様々の交流が生れていた場所です。
そんな湯治場では、農家さんがお宿に米や野菜を売り、食べ残しなどを肥料としてまた農家さんに 還元したり、宿泊のお客様は飲食店や商店を訪れ、地元住民との交流が行われたり、宿⇔農家⇔商店 ⇔地元住民が密接に関わる、いわば「循環型経済」が成り立っていました。
継田・代表 遊佐文博もそんな鳴子の湯治や農業を代々支えてきた農家の5代目です。産業構造やライフスタイルがすっかり変わった今、長期滞在の湯治は難しくなりましたが、心身のやすらぎを求める来訪者は今ますます増えており、様々な新しい湯治スタイルが生まれています。
株式会社 継田
平成28年月設立。国による長らくの減反政策、担い手不足、不在による農業の衰退という状況の片側で 国内の食糧自給率が約40%というねじれ現象の現代。中山間地域の鳴子は上流域に位置し、清流がそのまま田んぼに入る、宮城県内でも希少なエリアです。
その清流をたっぷり受けて育った鳴子の米は水分、旨味に優れた 上等米、とりわけ継田の田んぼは日当たり、水はけが良い地区の為、安定した生産量を誇ります。担い手が居ない田んぼは、みるみるうちに荒れてしまいます。
美味しいお米を 生産するということだけでなく、その田んぼの四季を通じた日本の美しい里山景色を暮らしを次の時代に継いで行く…社名の『継田』にはそんな思いを込めました。
株式会社 継田:代表取締役 遊佐文博
〒989-6711 宮城県大崎市鳴子温泉久田29
電話・ファックス:0229-84-7471
生産品目:ひとめぼれ、ゆきむすび 、ささ結び、みやこがねもち等、10haで生産
遊佐文博
1951年鳴子生れ。
宮城県森林インストラクター。元東北大学農学研究科附属フィールドセンター技官。
代々続く農家に生まれ、幼いころから田んぼ、畑など農作業のある暮らしの中で育つ。
ヒトメボレ、ゆきむすび、ささむすび、もち米の他、飼料米を生産。
鳴子の野山を知り尽くし、楽しい自然散策を提案したり、山の森林保全にも取り組む『活動する農家』。